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株式会社いとう商店
2025.11.21

“魚の目利きと豊富なアイデアで、新しい商品を。

明治時代から続く、旭市の老舗加工屋。

「銚子港で揚がるイワシやアジなど、新鮮で質の良い原料にこだわって商品を作るのは昔から変わりませんね」。そう話すのは、千葉県旭市にある株式会社いとう商店の代表取締役・伊藤克幸さん。同社の創業は1889年。克幸さんの曽祖父にあたる伊藤平次郎さんが「伊藤水産」として創業したのが始まりです。当時は、地引網で獲ったイワシを飼料として販売し、半農半漁の暮らしを営んでいたそうで、それから約100年後、1994年に法人化され、現在の社名になりました。

創業から130年以上続く、いとう商店の強みはなんといっても地元で揚がる魚の“目利き力”。「鮮度はもちろんですが、揚がった魚がなんでもいいわけではなく、顧客の注文やニーズに合わせた原料を仕入れて、丁寧な商品づくりをする。例えば、開きにするには脂が乗る11月~1月までのイワシが向いていますが、つみれの原料なら脂の少ない時期のものを使っています」。

主に地元である銚子港で採れたイワシを原料に、つみれやフィレなどを手がけてきた同社。伊藤さんが4代目を継いだあとは輸出業も開始。中国やヨーロッパ向けにイワシを輸出するなどして、堅調に業績を伸ばしました。また、コンビニエンスストアや学校給食向けのサバの切り身など、イワシを主力としながらも多角的に事業を展開してきました。

そんななか起こった、2011年3月の東日本大震災。海に近い場所に建っていた倉庫は流され、工場の設備機器にも大きなダメージを受けました。「震災発生から3日後、電気が復旧したタイミングで工場を再開しましたが、出荷直前にダメになってしまった商品も大量にあり、商品の廃棄や工場内の片づけから再出発を図りました」と伊藤さんは振り返ります。

しかし、凍結庫、冷蔵庫といった設備を失ったのが大きな痛手となり、取引先の一部も失うことに。さらに、堅調に伸びていた輸出業も原発事故の影響で各国が禁輸措置をとったため、すべて停止。震災直後の売上は、震災前の約半分まで落ち込みました。

ニーズに応えながら、商品開発も積極的に。

震災後、取引先からの注文が減少していたいとう商店ですが、被害の大きかった東北地方の工場が再開するまでという期限付きでの新規注文が増加。一時的ではありましたが、注文は大きく減らさずに維持することができました。しかし、東北の工場が復旧するにつれ、そうした仕事は減少。新しい販路の開拓が急務となりました。そこで同社では凍結機や冷凍機を含む、設備機器を導入。取引先からの新商品のリクエストに応えられる体制を整えました。

「作業を効率化できただけでなく、鮮度が良い状態で保管できるようになったことで、生産量と品質の両方を向上させることができました」と伊藤さん。さらに、さまざまな魚を柔軟に加工することができるようになったと話します。

元々、取引先のニーズに合わせた商品づくりを行いながら、新商品の開発に積極的に挑戦している、いとう商店。そのベースになるのは、伊藤さんの豊富なアイデアです。旭や銚子で獲れた魚介に、千葉の特産品である醤油やピーナッツを加えた“黒アヒージョ”シリーズ、「骨とり商品」から逆転の発想で商品化した骨を取らなくてもそのまま食べられる「骨までおいしい!焼魚」シリーズなど、多彩な商品を生み出してきました。「取引先から『こういう商品作りたいんだけど』と相談されて、『それなら、以前同じようなことを考えていたので、すぐ試作品を出せますよ』とスピーディーに対応できることもあります。まだお話しできない商品も多いですが、いろいろなジャンルに挑戦しています」と伊藤さん。今後については「これからは農業や精肉といったジャンルを問わず、新しいものを生み出していくことが増えてくると思います。その時にしっかりと成果を出せるよう、日々取り組んでいきたいですね」と話してくれました。

創業から130余年。伊藤さんが見据えているのは、次の世代に会社を引き継いだ先の10年です。「この会社を息子たちに引き継いた後も、10年くらいは安定してやっていける状態にする。それが今の目標ですね」。その言葉の端々には、明治の時代から受け継がれてきた“加工屋”としての矜持がにじんでいました。

COMPANY INFO 今回のつくり手さんの会社

株式会社いとう商店

住所
〒289-2521
千葉県旭市ハ2801
取扱製品
つみれ原料となるレトルトイワシ、イワシミンチ、イワシフィレ、サバ落し身、鮭フレーク、 レトルト焼き魚 ほか